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大力持ち兵四郎
 
 そこでだれに運ばせるかということになり、高屋町の平四郎が
選ばれました。たのまれた平四郎は、3メートル以上もある仁王像を
二体重ねてにづくりし、せおって、金敷寺まで16キロメートルの道を
休みもせずに運びました。それからのち、鞆の浦の漁師たちは
喜んで、春になると毎年大きな鯛を平四郎におくったということです。