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「麻田鷹司展」-京都の四季・日本の美-
過去の特別展
「麻田鷹司展」-京都の四季・日本の美-
会期
2002年4月26日~6月2日
内容
麻田鷹司(1928年~1987年)は、伝統的な大和絵の風趣を現代に生かし、戦後の美術界に重要な足跡を残しました。
麻田鷹司(本名 昴たかし)は、1928年(昭和3年)、京都市に生まれました。父麻田辮自は帝展、日展で活躍した日本画家であり、母も上村松園に日本画を学んでいます。幼い頃から芸術的雰囲気の中に育った麻田は、ごく自然に画家の道を歩み始め、京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)在学中の1948(昭和23)年には第1回創造美術展に入選し、早くも頭角を現しました。創造美術は後に、新制作協会日本画部、創画会と発展していきますが、父の友人であった上村松篁も創立同人の一人として参加しており、革新的な日本画創造の舞台として熱気に溢れていました。この頃、麻田は、渓谷や雪原、荒天の海など日本海側の風景をモチーフに、造形性を追求した作品を発表しています。1961(昭和36)年に、東京に居を移した麻田は、1969(昭和44)年には「京都の主題による」個展を開催し、本格的に京都の風景に取り組んでゆきます。最終的には京都を五つの地域に分けて、10年で50点の洛中洛外の連作の完成を目指しました。
また、1966年(昭和41年)からは武蔵野美術大学で教鞭をとり、後進の指導にもあたっています。
しかし、ライフワークである京都連作の完成を見ぬまま、病のため、1987年(昭和62年)、58歳の若さで逝去。最も愛した地である京都衣笠山の麓に葬られました。
麻田はその画業のはじめから一貫して風景を描き続けました。特に1960年頃から歌枕や浮世絵などに取り上げられた「名所」、すなわち京都をはじめ天橋立、厳島、松島の日本三景などを題材として制作を始めます。これらの「名所」を日本人の美意識のあらわれとして再評価し、写実を基礎としながらも大和絵の装飾性を加えて、日本人が育み、磨き上げてきた感性に立脚した作品を創造しました。
この展覧会では京都の四季を描いた名作を中心に、日本三景など代表作をあわせて展示し、その画業を振り返りました。
主な出品作品
- 「天橋雪後図」
- 「松嶋図」
- 「厳嶋図」
- 「衣笠山」
- 「詩仙堂」
- 「竹生島」
など46点