公開日 2017年02月13日
最終更新日 2017年02月20日
毎年、11月上旬に見頃を迎えます。
解説
楷は中国原産の落葉喬木で、新芽は美しい紅色、若芽は芳香があるので茶の代用とし、幼芽は食用とします。
葉の生じ方や枝振りが直角に整然としていることから、樹木の手本になる木として貴ばれ、儒学の祖、孔子が亡くなった時に弟子の子貢が、人間尊重と人格形成を説く孔子を偲んで墓所に植えました。
そのため「学問の木」と呼ばれており、書道でいう楷書の語源もこの木にちなんで名付けられたと言われています。
田中苑の南入口(市民会館の正面)にある楷の木は、11月3日前後、見事に紅葉します。(年によって異なります)井原市民はもちろん、県内各地から紅葉を賞する人が毎年楽しみにして訪れています。
楷を最初に日本に入れたのは白沢保美博士(当時、農商務省林業試験場長・林学博士)で、大正4年に博士が中国に出張したさい、孔子の墓所にある楷の根元に落ちていた種子を持ち帰り、林業試験場で下種し苗を育て、これを湯島聖堂(東京・大正11年)、足利学校(栃木県・同年)などの孔子ゆかりの地に植えました。岡山では大正14年、旧閑谷学校に植えられ、その後県庁、三徳園、岡山大学、後楽園にも株分けされました。
田中苑の楷は、馬越恭平(「ビール王」と言われた井原市出身の実業家)の孫にあたる方が、中国に行った時に持ち帰った苗を井原市に寄付し、昭和49年に 田中苑の土地を取得(昭和48~50年にかけて苑を建設、昭和51年供用開始)したさい、植樹したものです。また、昭和58年には市内各小学校にも植樹しています。
参考
当館には、馬越家遺族である馬越恭一氏よりご寄贈いただいた作品があります。馬越夫妻の金婚を祝って制作された木彫寿像で、恭平翁の出身地・井原で展示してほしいとの希望から受贈したものです。
作者の山崎朝雲は、米原雲海とともに高村光雲門下の双璧とうたわれ、明治写実主義木彫の第2世代として活躍しました。平櫛田中が若き日に兄事し、共に研鑽した仲間でもあります。
朝雲、雲海、田中らは最晩年の岡倉天心の指導下、日本彫刻会を結成して明治40年代~大正初期の木彫界に大きな影響を与えたことで知られます。
山崎朝雲作
≪馬越恭平翁金婚寿像 馬越夫人菊子金婚寿像≫
大正8(1919)年 木彫(サクラ材) 井原市立田中美術館蔵
※≪馬越恭平翁金婚寿像 馬越夫人菊子金婚寿像≫の展示予定は未定です。展示の際には出品リストを掲載しますので、そちらをご確認ください。