
東京へ出ていった田中(でんちゅう)さんは、岡倉天心(おかくらてんしん)というえらい先生と出会い、いろいろなことを教えてもらい、彫刻もだんだん上手になっていきました。
しかし、できあがった作品が売れない田中さんのくらしは、しだいに苦しくなっていきました。
そして、子供は病気になり、上の女の子と次の男の子が死んでしまいました。田中さんはそんな苦しさに負けず立派な作品をつくって、たくさんの賞をもらいました。
<外部リンク><外部リンク>
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)