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開館40周年・没後30年「平櫛田中展」- 故郷 井原 -
過去の特別展
開館40周年・没後30年「平櫛田中展」-故郷井原-
会期
平成21年4月24日(金曜日)~平成21年6月21日(日曜日)
休館日
月曜日(ただし、5月4日(月曜日)は開館、5月7日(木曜日)は休館)
入館料
- 一般:700円(560円)
- 65歳以上:350円(280円)
- 高校生以下:無料
( )内は前売券・団体20名以上の料金
前売券は、ローソン、チケットぴあ等で3月下旬より販売いたします。
開催趣旨
平櫛田中は明治5(1872)年、岡山県後月郡西江原村(現在の井原市西江原町)に田中謙造、以和夫妻の長男として生まれ、田中倬太郎と命名されました。明治18(1885)年、13歳の秋に広島県沼隈郡今津村(現在の福山市今津町)の養子先平櫛家に移るまで、少年時代をここ井原の地で過ごしました。その後、大阪の商家での奉公生活を経て、21歳で木彫家を志し、明治30年に25歳で上京してからは、昭和54(1979)年、107歳で亡くなるまで東京で暮らしました。
田中家の両親や弟妹が倬太郎の養子先である今津に転居して暮らしていたこともあり、平櫛田中と井原との縁は「ただ生まれたところ」にすぎなく、当時は広島県出身者と思われていたそうです。
現在のように岡山県出身と言われるようになったのは、井原市在住の日本画家戸田天波(1880-1961)の尽力により、昭和20年代後半に井原市内の小中高校に自作を贈って以来のことです。養子先への転居で井原を離れてから65年の歳月が経ち、田中の年齢も80歳となっていました。それからは、井原に足を運ぶ機会も多くなり、昭和33年には井原市名誉市民第1号に推挙され、昭和44年には井原市田中館(現在の井原市立田中美術館)が開館しました。97歳の田中は開館記念式典に出席し、記念講演も行われています。井原市との「再会」後、昭和54(1979)年に107歳で逝去するまで《鏡獅子》の完成、文化勲章受章、東京国立近代美術館での在世する作家としては初めての個展、平櫛田中賞の創設と大きな出来事がいくつもありました。「六十七十は はなたれこぞうおとこざかりは百から百からわしもこれからこれから」この言葉に象徴される大器晩成の彫刻家・平櫛田中。その晩年は、井原との絆を深めていく過程でもありました。
開館40周年、没後30年という節目の年に改めて、平櫛田中と故郷(ふるさと)・井原との深い絆を再確認していただければ幸いです。
出品作品
出品点数 彫刻約65点 書約35点 刀剣1振 合計約100点
本館1階
- 市内の小中高校への寄贈作品(《尋牛》《釣隠》など木彫8点、いまやらねば書)
- 井原市内の寺社仏閣に寄贈寄進された作品を中心に井原ゆかりの作品《弘法大師尊像》《南無誕生仏》《人間国宝・宮入行平作太刀》など
本館2階
- 現在、縁あって井原市内で所蔵されている珠玉の木彫名品選 《第一歩》《摩訶達磨》《帰牧》など25点
本館3階
- 田中館開館時の作品たちを中心に《幼児狗張子》など約15点
別館1階・2階
- 田中ゆかりの方が所蔵する書《出入無事》(98歳)《わたしもとうとう満百才》
《山月随人来》(106歳)を展示 - 井原市内の田中ゆかりの地を紹介
父祖の地東江原町の山中八幡神社、田中家の菩提寺・宝蔵院、少年時代を過ごした西江原の旧居、甲山八幡神社、小田川ほか-写真パネルと片山智子さん宛書簡、《うぶすなの》短歌など - 井原での交友(日本画家・戸田天波、医師・大山恒など)
- 市内の小中高校への寄贈とその経緯-戸田天波宛書簡など
- 田中が様々な機会に井原に訪れた際の写真をパネルにして公開
※スペースの関係で、多少の変更がございます。
■展覧会図録 全作品カラー図版、田中の写真や書簡も多数掲載(4月24日発売)
記念講演会(聴講無料)
日時:5月24日(日曜日) 13時30分~15時
会場:井原市民会館 鏡獅子の間
講師:東京芸術大学大学美術館 准教授 古田 亮 氏
演題:芸大コレクションから見た田中作品
ギャラリートーク(出品作品解説)※要入館料
日時:5月14日(木曜日)・6月6日(土曜日) 13時30分~15時
会場:特別展会場
講師:当館主任学芸員 青木寛明
作品の紹介
「弘法大師尊像」木彫 昭和4年
高山寺蔵
「和楽」数え99歳 個人蔵
「山月随人来」数え107歳 個人蔵
「わたしもとうとう満百才 まだまだ仕事が残ってる」数え101歳 個人蔵
「忍 万徳之基也」『和と忍双幅』より
数え98歳 個人蔵
「気楽坊」木彫彩色 昭和31年 個人蔵
「第一歩」木彫 大正元年
シーピー化成株式会社蔵
「竪指」木彫 大正2年
シーピー化成株式会社蔵
「釈迦牟尼仏」木彫 昭和22年
シーピー化成株式会社蔵